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2003年04月のバックナンバー

2003年04月01日

応援来る!(事務所の守護神)

 親しいご婦人方が事務所を来訪。 留守番のいない事務所の窮状を見かねて今後交代で事務所番を務めてもらえることになりました。
坪井ちさ子さん、斉藤タマ子さん、高梨ひさ子さんの3人。どの方も顔が広く、こうしたお手伝いは慣れていらっしゃるので頼もしい限りです。

 ご好意に感謝しそして甘えさせていただいて、自らやらねばならない活動に没頭していきたい。これからは、一日一日が勝負です。 日々目標を掲げ、一歩一歩前に進んでいくこと。今日は4月1日、新年度のスタートにあたり心機一転を誓う一日でした。

2003年04月02日

隠れた名所(下町の一本桜)

 文京区根津二丁目34番地、通称「あいそめ大通り」 の一本桜は今を盛りと言わんばかりに見事に咲き誇っています。下町の「隠れた名所」と言っていいでしょう・・・。

 15年前に川越の桜並木から出た新芽が誰かによって植え替えられ、育ってきたものだと聞いています。 毎年ながらのその美しい姿に時を忘れて見とれてしまいました。どれくらい時がたったのかは定かではありませんが、気がつくと 「まさし君どうしたの?ずいぶん疲れているみたいだね・・・」って近所のひとに肩をたたかれていました。(苦笑)

桜はあっという間に咲き、そしてあっという間に散っていく。「花のいのちは短くて。」を象徴するように。
でもそのわずかの間の絶頂の姿を目にしたとき、口では表現できぬほどに感動したりする。そう思うのは私ばかりではないと思います。
そんな瞬間を体験しつつ、見とれていたんだなぁ~って感じます。
まさに「癒された」ってことでしょうか・・・?

2003年04月04日

太郎出陣!(都議会議員再選挙始まる)

 今日から文京区では都議会議員再選挙が始まりました。
私は無所属・鳩山太郎候補を支援。彼にとっては「初陣」です。

出陣式の片隅で彼の姿を見つめつつ、思いをめぐらせています。

選挙に出るもの、政治に関わるものの宿命はといえば・・・。
「当選すればみんなのおかげ、落選したら自分の責任」まさに厳しい世界です。

それを承知で「挑む」こと「貫く」こと「結果を受け入れる」こと。
28歳には酷なことかも知れません。でも選んだ以上、戦わねばならぬ、負けられぬ!そんな精神を学んでほしい。

同じ政治の世界に生きている先輩の立場として、そしてかつての家庭教師として期待をこめて、よい結果を祈りつつ・・・。
 

2003年04月05日

桜並木にお神輿が(江戸開府400年事業)

 小石川「播磨坂」桜並木を中心に「文京さくらまつり」が行われています。今年で32回目。 また文京区では「花の5大まつり」と称し四季折々に咲く花をテーマに事業を展開しています。
3月湯島天満宮での「梅まつり」、4月小石川「さくらまつり」、同じく4月根津神社の「つつじまつり」、6月は白山「紫陽花まつり」 そして9月湯島天満宮「菊まつり」と・・・。

 今日、式典が播磨坂事業所(清掃車庫)の会議室で行われ区内関係者約80名ほどが集い盛大に執り行われました。
また、今年は「江戸開府400年」にあたる年。記念事業として神輿の渡興が行われ、地元小石川中央町会と湯島天満宮の神輿が連合で渡興。

 雨風が激しく、たいへんなイベントとなりましたが担ぎ手にとってはこれもまた盛り上がる要素のひとつか、 威勢のいい掛け声と熱気が神輿と桜をひきたたせる様な、見事な風情を感じさせました。

 午後からは事務所で作業。特に風が強いせいか外へ出ることはあきらめ、 おかげでたまっていた事務作業を効率的にこなすことができました。 

2003年04月06日

出演しちゃいました。(八重垣謝恩会カラオケ大会)

 今日、地元商店会「八重垣謝恩会」主催のカラオケ大会が不忍通りふれあい館で開催されました。
各地からカラオケ自慢の人たちが参加、「熱唱」が繰り広げられました。

そのつもりはなかったのですが1ヶ月ほど前、商店会長の今井さんに「顔を売るには絶好のチャンス。」 と強く勧められ私も参加することに・・・。
このカラオケ大会は今年で第7回目になりますが、参加者のレベルが非常に高いといわれています。 私も仕事柄新年会など会合でご挨拶がわりに1曲、また地元のスナックなんかで友人などと歌うことはありますが、こうした会にでるのは勿論 「初体験」。
受けてみたのはいいけれど、戸惑いと後悔の念が頭から離れない。「やっぱりやめておけばよかった。」との思いでした。

マイクを持つのは仕事ですし、大勢の人の前で話すこともなんともありませんが、さすがに今日は緊張しました。舞台の袖で待つ間、 心臓がバクバクと・・・いますぐここから逃げ出したい。そんな気分。

エントリー曲は「道化師のソネット」。(さだまさし作詞・作曲)
会場のお客さん達の層は、どちらかというと年配の方が多いので最近の曲はイマイチかな、かといって演歌ではわざとらしいし、 などと考えこの曲に決定。さだまさしの曲のなかでも「明るめ」の歌です。
詩が気に入っています。

緊張ながらもなんとか失敗せずに無事終了。(いやぁ~ほっとしました。)

審査は板谷隆司さんという作曲家の先生が行い、ひとり一人に点数をつけていき上位10人が入賞。賞状と記念品がいただけます。

なんと、私入賞しちゃいました。「歌唱賞」だそうです。
講評では「ハートで歌ってるところがいい。」など・・・。
いやぁビックリしました。でもいい経験でした。
クセにならないようにしなければ(苦笑)。

2003年04月07日

応援遊説!(車は小さいが夢は大きい。)

  都議会再選挙、鳩山太郎候補の選挙カーに乗る。今日私の廻った地区は細い道が多く、大きな車は無理。 従ってミニ選挙カーで遊説活動を行いました。受け持った1時間の間を路地から路地へと廻り、 ところどころピンポイントでの街頭演説を数箇所こなしました。

車は小さいけれど、お互い夢は大きい。

2003年04月08日

強面(こわおもて)ですが。(新江和夫さん)

 見るからに「いかつい」といった感じの人(写真)ですが、私にとっては大切な支援者のお一人。 新江和夫さんです。私が子供の頃から可愛がってもらっています。

本郷消防団4分団の副分団長。ガラス加工のお仕事をされています。東大の研究所などから特別注文を受けた「実験器具」 などをひとつひとつ手作業で作っていく、いわば職人中の職人です。

そんな職人気質の新江さんですが、過去の私の選挙では携帯用のスピーカーを肩に掛け、私と「徒歩遊説」 を共にしてくれるかけがえのない人・・・。

地元は小さな路地が多く、車が入れないときは「徒歩」で遊説します。
そんな時いつも私のそばについて、スピーカーを持ち、旗を持ち、私を支えてくれています。
そして私はいつもその時感じます。「孤独じゃないんだ。」って・・・。

選挙は一人ではできません。影になり日向になり、いろんな人がいろんな場面で助け励ましてくれる。そこに利害関係はありません。 それだけ思ってくれている。それだけ託してくれている・・・。

感謝です。

そうした「期待」に応えていきたい!
恩に報いる仕事をしたい!

そんな思いをめぐらせつつ、デジカメのシャッターを切りました。

2003年04月10日

今年はちょうどいいかも知れない。(つつじまつり開苑式)

 文京区花の五大まつりの一つである「つつじまつり」の開苑式が会場である根津神社で行われました。 実行委員のメンバーを中心に神社本殿でのお祓い、会場入口でのテープカットの後、みんなで「つつじ苑」に入って状況を見学。

今年はこの時期、少なめの開花状況。
いつもはもっと咲いています。でも、GWの半ばには散ってしまう。

そいう風に考えると今年はGWまでもつかも知れませんね。
4月第5週(27~5月3日)くらいまでが見頃かも・・・。

是非ともお出かけください。(一見の余地ありです。) 

2003年04月11日

街頭遊説(マンションのベランダを見つめて・・・。)

 東京都議会議員候補・鳩山太郎氏と街頭遊説をしました。
写真は本駒込グリーンコートでの街頭遊説を終えた後のワンショット。

見上げた先はマンションのベランダ。街頭遊説では気がつきにくのですが、演説をマンションのベランダや窓越しに見ている人、 手を振ってくれる人が結構いるんです。

見逃してはいけません。

周到に二人で見回しました。
一票一票を大切に・・・。選挙の基本です。 

2003年04月12日

太郎頑張った。(都議会再選挙打ち上げ)

 都議会議員再選挙の最終日、鳩山太郎候補の打ち上げ街頭演説会が白山下交差点で行われました。

せんえつですが「太郎よく頑張った。」というのが偽らざる私の心境です。
結果はともかくとして・・・。

最後の彼の演説には「気持ち」がこもっていました。
ゼロからスタートして、一日一日、一人ひとり。苦しみも喜びも自分でかみしめて、自分で肌で感じて・・・。

候補者でなければわからない心境です。

そんな思い入れが感じられる演説でした。

そして、そんな苦しい時、つらいときに手をさしのべてくれた人、支えてくれた人。そうした人たちの「手のぬくもり」 を生涯決して忘れないのであれば彼は政治家として「大成」すると思う。

いまだ「道半ば」ですが・・・。

2003年04月13日

太郎勝つ。(様々ないきさつを乗り越えて・・・)

 東京都議会再選挙において鳩山太郎候補が「当選」しました。
28歳の挑戦は見事その初期の目的を果たしました。
でもこれからが、大変です。
文京区民の代表として東京都政のなかでいかにいい仕事をしていくか?

 すぐにも結果を出していかなければなりません。
 是非とも全力で頑張ってもらいたいと思っています。

 今回の選挙は鳩山邦夫代議士の政治行動をめぐり、後援会も系列の区議会議員も含め「ねじれにねじれた」状況下での選挙でした。

 多くの人が悩み、そして苦しんだ。

 しかし、それぞれが立場や事情、いきさつを乗り越えて一致団結したからこそ、こうした結果が出たんだと私は認識しています。

このことを太郎氏にもしっかりと受け止めてもらいと思う。
そして「ねじれの解消」にも力を尽くしてもらいたい・・・。

 そう願っています。

 真価が問われるのはまさにこれからです!。

2003年04月14日

街頭から。(2時間半の充実感)

 選挙も終わり、公職選挙法上の規制もなくなり自由に政治活動ができるようになったので、駅頭での街頭活動を再開しました。
そういう意味では今日が解禁日。私以外にも駅頭に立つ人が予想されたため場所とりも含めて、早めのスタート。

 6時35分から、いつもの場所で「まさしニュース」(号外版)の配布をはじめました。やや早すぎたかとは思いましたが、 8時から9時までのピーク時に比べれば人の流れは少ないものの、新たな出会いを経験することができました。
 結果、9時までの合計2時間半におよぶ活動となりました。
充実感をおぼえます・・・。今晩はよく眠れそうです。

街頭から。(2時間半の充実感

 選挙も終わり、公職選挙法上の規制もなくなり自由に政治活動ができるようになったので、 駅頭での街頭活動を再開しました。
そういう意味では今日が解禁日。私以外にも駅頭に立つ人が予想されたため場所とりも含めて、早めのスタート。

 6時35分から、いつもの場所で「まさしニュース」(号外版)の配布をはじめました。やや早すぎたかとは思いましたが、 8時から9時までのピーク時に比べれば人の流れは少ないものの、新たな出会いを経験することができました。
 結果、9時までの合計2時間半におよぶ活動となりました。
充実感をおぼえます・・・。今晩はよく眠れそうです。

2003年04月15日

ビーチボールバレー(スポーツ開放)

 文京区では、平日の夜間と休日の学校体育館や校庭などを区民に開放し、 区民のスポーツ振興を進めています。
「スポーツ開放」と呼ばれているものです。
種目は各学校・地域ごとに異なり、卓球であったりバレーやバスケット・ テニスなどその地域の人たちの手により自主的に運営されているのが特徴です。(指導員もいます。)

 根津小学校では、ビーチボールバレーと軽体操が行われています。特にビーチバレーボールが盛んで、 毎週火曜日の夜と日曜の午前中には多くの人たちが体育館に集まり、汗を流し、楽しんでいます。

 ビーチボールはその名の通り、海で遊ぶビニールのボール。そのボールを使い、バトミントンで使う程度のコートで1チーム4人で、 バレーをするのが「ビーチボールバレー」。
富山県が発祥の地だそうです。しかし、文京区でも富山に負けず劣らず大変盛んで、何年か前には全国大会も文京区で行われたほど・・・。

 誰でもできる気軽に楽しめる競技です。でも大会などのレベルは非常に高く、 勝つためには変化球サーブやフェイントなど高度な技術も必要です。

 是非一度体験してみてください。
初心者のひとでもすぐに馴染めると思います。

 スポーツ開放は無料ですし、区民なら誰でもどこでも参加できます。
区役所の生涯学習部社会体育課に問い合わせをすれば、どこでどんな開放をしているかも教えてくれます。
健康維持と楽しみを持つ意味でもお勧めできると思います。

2003年04月16日

ラ・クーア開業レセプション

  東京ドーム株式会社の新規事業「ラ・クーア」の開業レセプションが行われ、 区議会の会派の代表としてご招待を受け、出席しました。

 ラ・クーアは「リフレッシュ」をテーマに創られた商業アミューズメントで、地下1600メートルからくみ上げた「天然温泉スパ」 をはじめ、大観覧車や、それを突き抜けるジェットコースター、70にも及ぶショップなどを配置した巨大複合施設です。

 この施設を目当てに、今後多くの人達が文京区を訪れることになるでしょう。願わくば観光振興や、 地元商店の活性化などにつながっていくよう区としても誘導策が必要だと思います。

 また一方では、環境問題も提起されています。ジェットコースターから発せられる「絶叫・悲鳴」が騒音問題になると、 マスコミでも報道されたのは記憶に新しいところ。
その後、地元住民との協議等がどのように進んでいるのかは私も情報を得ていないので不明ですが・・・。
いずれにしても今後、「共存共栄」が図れるよう進めていかなければなりません。大きな対立が起こることのないよう望んでいます。

 話は変わりますが、天然スパは入湯税徴収の対象です。入湯税は地方税で文京区の固有の財源となります。ちなみに今年度のラ・ クーア分の入湯税予算額は400万円。
 こういうのを「とらぬ狸の皮算用」というのでしょうか・・・。

 ラ・クーアのグランドオープンは5月1日。 

2003年04月17日

若手応援団。

  私の永年来の友人である、鈴木スミヒコ氏・鈴木タカハル氏、 そしてインターンシップで縁のあった福島君とその後輩達が、応援に来てくれました。

 事務所の運営をはじめとして、私が抱える様々な仕事を一部担ってくれるそうです。

 ありがたいことです。

大いに助かるし、信頼もできます。
だから安心してお任せしようと思っています。

そして、今自分がやらなければならないことに集中しなければ・・・。

 政治や選挙はひとりではできない。

 つくづく思います。 

2003年04月18日

足跡を残していくこと。(綴っていきます。「まさし日記」)

  政治の道を歩んでいくうえで大切に思っていることは、「自分の足跡」を残していくこと・ ・・。

議員になってから、区民の方々より受ける質問第1位それは「区議会議員っていったい何してるの?どんな毎日を過ごしているの?」 という事。

 確かに私達の仕事は一般区民には「目に見えないもの」なのかも知れません。興味もない・変化もない。どうでもいい事だって・・・。

でもそれじゃいけないって思って「まさし日記」を綴りはじめました。

たかが区議会議員がじゃないって言われることもありますが、重要な責務を背負っています。
区議会の仕事は区民の毎日の生活に密着しています。そして区政は私達に最も身近な政府です。

 それを知ってもらいたい。
 意識をしてもらいたい。

そんな思いで「まさし日記」の更新を続けてきました。

 内容はたいしたことないかも知れない。
 政治家としては物足りないかも知れない。

 でも、残していこうと・・・うそ偽りない毎日の自分の姿を。
 記(しる)していこうと・・・そう、心の底から思いました。

だから綴っていきます。

残していきます。

「まさし日記」を。

うそ偽りないその日の自分を。

 そうした中で、自らの「生きざま」を示し、批判も励ましも頂きながら・・・でも最後には「期待に報いられる答え」 を出せる政治家になりたい。
 
 そう思っています。

文京区のために、支援してくださる方々のために。

 明後日より「文京区議会議員選挙ならびに文京区長選挙」が告示いたします。

 公職選挙法上の規定により、「まさし日記」の更新をしばらくの間、中断させていただきます。

 4月28日(月)より更新を再開いたします。

2003年04月20日

出陣式(選挙戦初日)

 文京区議会議員選挙ならびに区長選挙が今日、告示しました。
私にとっては3度目のチャレンジ。今回は定数4名減に加え、候補者は乱立ぶくみで厳しい戦いの様相。

 午前11時より、選挙事務所前にての私の出陣式には80名ほどの支援者が駆けつけ、候補者である私を励ましてくれました。

 「今まで、自分がやってきた活動には悔いはありません。しかしこの1週間が勝敗を大きく左右する。 厳しい現状を常に忘れず油断することなく、しかしながら明るく元気に1週間を駆け抜けていきたい!」
そんな出陣の挨拶をさせてもらいました。

 選挙カーによる遊説のほか、若手応援団たちと1時間半におよぶ根津・千駄木地区の徒歩遊説をこなしました。今日はまだ初日ですが、 絶対に手を抜かないつもりです。手を抜いたり、気を許したらこの激戦地区では生き残れない。

 攻撃は最大の防御なり。
 そう気合いを入れつつ・・・。

2003年04月21日

第2日目(小雨のち晴れ)  4月21日(月)

  午前7時半より9時過ぎまで、根津駅頭に立つ。
選挙運動は午前8時からですが、拡声器を使わない。連呼などによる投票依頼を行わないのであれば8時以前に駅頭立ちも問題なし。 と選挙管理委員会にも照会したので、一切自分の名前も発せず「おはようございます!」のみの駅頭立ちとしました。

 公明党候補とバッティングしてしまいましたが・・・。

9時半より、車による遊説。地元千駄木・弥生・根津を廻ってその後、本駒込へ、区境まで丁寧に・・・。
12時から12時45分まで、根津スーパー「赤札堂」前に立ち支援の呼びかけ。

午後は13時よりやはり車で、西片・白山・春日・小日向・大塚・千石と廻り事務所へ。

16時半からは約2時間根津・千駄木を「徒歩遊説」

 ふくらはぎがパンパンに張っている。やや、とばし過ぎの感もありますが短期決戦です。できることは、躊躇せず何でもやっていきたい。

2003年04月22日

第3日目(夕立ち隊結成)

 選挙戦第3日目。
朝7時半、根津駅頭へ昨日同様駅頭立ちに向かいました。しかし私以外の3候補者がすでに陣取っていましたので場所を変更して、 少し離れたところで支援の呼びかけ。

幸いなことにどの候補者も8時半には、駅頭を離れていったので、すぐさまいつもの定位置をキープ。
 9時過ぎまで、マイクなしの朝の挨拶を・・・。
 今日はあえてタスキをしないで立ちました。

 その後は終日遊説活動。(根津・千駄木・弥生・本駒込・湯島・本郷・白山など・・・)
選挙戦後半はきっと地元にベタ付きになると予想しているので、その他の地域は今のうちに廻っておきたいところ。

 遊説を終え、夕刻はスーパー「赤札堂」の前に今日も立つ。
午後6時から7時までの1時間ほど。一人では寂しいということで、手伝いに来てくれている女子学生達がいっしょに付き合ってくれました。

 「夕立隊」の結成です。いちずで、さわやかな彼女達の「渡辺まさしをよろしくお願いいたします!」との声にとても励まされます。

 頑張らねば!まだ前半戦。
 絶対に負けられない!

2003年04月23日

第4日目(徒歩遊説)

 徒歩遊説。その名の通り歩いて遊説すること。
通常遊説は選挙カーで行います。しかし私の地元は下町で路地裏がばかり、車は入れないところが多いのが実情。

 したがって、ハンドスピーカーを持っての徒歩遊説をせざるおえません。
時間当たりの移動距離は非効率ですが、有権者一人一人とがっちりコンタクトがとれること、 握手ができるという点では得票につながる可能性は強いと思われます。

 今日は私の地元でも比較的住宅地である弥生地区をじっくり徒歩で1時間半ほどかけて遊説をしました。 ハンドスピーカーを持ってくれるのは、始めての選挙から同じ役割を担ってくださる新江和夫さん。
いつも2人で頑張ってきました。
遊説コースも時間配分もあ・うんの呼吸です。

 これから最終日にかけては徒歩が主とした遊説日程となります。
1日2~3時間は当たり前。朝晩の駅立ち、スーパー前の夕立の各1時間半を含めると5時間~6時間は立ちっぱなしとなることでしょう。

これからが正念場。

あと3日。全力で戦うのみ! 

2003年04月24日

第5日目(個人演説会)

 いよいよ後半戦に突入です。これからはちょっとしたミスも許されない。朝からの駅頭立ち、 車での遊説、街頭演説など日程を順調にこなしました。

 夜は私の「個人演説会」が不忍通りふれあい館で。
どれだけの人が集まってくれるのか?正直言ってとても不安でした。
動員のための呼びかけも、あまりしていなかったので・・・。

しかしありがたい事に会場には約200名ほどの人が集まってくれました。
本当に感謝です。

精一杯の演説をさせていただきました。「なぜこの道を歩んできたか、2期8年間で何をしてきたか?これからの事。選挙情勢」など・・・ 。
私の政治理念は「聞き・考え・答える」こと。区民の意見をしっかり聞いて、ともに考え、具体的な答えをだしていく。このことを続けてきたし、 これからも続けていきたい。そう考えています。

でもバッジをつけなければ仕事はできない。

今日から3日間全力で戦っていきます。

2003年04月25日

第6日目(自分との戦い!)

 選挙戦も残すところあと2日。激戦下町根津・千駄木地区では熾烈な戦いが続いています。 私を含め各候補とも、徒歩遊説、駅頭での街頭演説、裏路地での辻説法(細かく街頭演説をしていくこと。)など・・・。

 私も小雨がちらつく中、徒歩による遊説で根津・千駄木と1日かけて支援を呼びかけました。

 午後になると、自民党の角野英毅候補が深谷元通産大臣・ 中屋都議会議員と共に根津から千駄木にかけての徒歩遊説そして街頭での演説会。

 夜7時からは公明党の藤野美子候補の街頭演説会が根津駅頭で、これには、
神崎武法公明党代表が応援に駆けつけたそうです・・・。
いささか驚きました。
突如、縦断爆撃を受けた感があります。しかし選挙は最後は自分との戦い!
自分の考えてきたこと、やってきたことを信じるのみです。

 ペースを狂わせることなく、動揺することなく、今日もしっかりと油断することなく、元気に明るく日程をこなしました。

 今日一日、徒歩遊説で握手を交わした人の数は100名を超えました。
その手のぬくもりを絶対に忘れません。

 勝利を信じて・・・。

2003年04月26日

最終日(悔いのない選挙にするために)

 選挙戦最終日、この厳しい戦いをどう乗り切るか・・・。
なんだか標的(ターゲット)にされてような気がしています。
「渡辺は余裕だ。大丈夫。」との声が他陣営から上がっています。

そんな雰囲気が広まると選対が一気にゆるんでしまう。
強い危機感を覚えています。

朝は駅頭立ち。その後、午前中は地元の周辺隣接地域を車で廻る。
午後は、13:00~14:30・15:30~17:00・19:00~19:40と3回にわたって徒歩遊説を。 そしてその合間は車に乗りました。

体がきつい・・・。精神的な疲れは全くありませんが、足腰にかなり疲労と負担が・・・。でもそんなことは言ってられません。
気合いです。

19:40からの「打ち上げ」には地元を中心に60名ほどの支持者が駆けつけくれました。「最後まで私と心を一つにして戦ってほしい。 」と今晩、電話での投票依頼を今一度皆さんにお願いしました。
20:00選挙戦終了。

 日に日に手ごたえは感じています。やり残したこともありません。
そうした意味では悔いのない選挙運動ができたと思っています。

後は、明日、正しい神判が下ることをただただ祈るばかりです・・・。

2003年04月27日

まさし乗り切った!(1750票、13位)

 投票結果が出た。渡辺まさし、1750票、第13位。
前回に比べると票も、順位も落としましたが「何とか踏みとどまった。」と思っています。

 共産3、民主1、自民1、と無所属6名が落選。厳しい選挙結果となりました。 それと前回2000票前後得票の有力候補者が軒並300~500票単位で得票減・・・。何か大きな変化・地殻変動を感じます。
選挙は本当に恐ろしい・・・。
公明党は1議席ふやして6議席に。ひとり勝ちです。

 それにしても気になるのは投票率の「低さ」。47.3パーセントは過去最低。 まさか50パーセントを下回るとは夢にも思っていませんでした。
関心の低さが気にかかります。
いずれにしても渡辺まさしは議席を死守。

 頑張っていきます。
 いよいよ3期目、確かな答えを出していきます。

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