午前中小石川に所用を済ませた後、伝通院に立ち寄りました。
伝通院は徳川家ゆかりの寺院。写真は同院内にある「於大の方墓所」(区指定史跡)です。於大の方は徳川家康生母。慶長14年、 その墓所として家康により建立されました。
今、私は山岡荘八歴史文庫「徳川家康(全26巻)」にチャレンジ中です。
戦国の世を生き抜き、苦労苦節の果てに天下泰平の世を築いた家康の生涯には実に興味深いものがあります。自分の人生とも照らし合わせながら、
世を生き抜く糧として大いに参考にしたいと思っています。
そしてその家康の一生に大きな影響を与えたのが、生母於大の方だとも言われています。
幼いときから母子離れ離れにして、戦国政略・政争の具として互いに人質として過ごした二人の人生にはその当時の世の常とはいえ、 儚さ(はかなさ)と無情さを禁じえません。まさに「堪忍」の人生です。
墓所前のプレートにはこう記されていました。
「享禄元年~慶長七年。徳川家康の生母、三河(愛知県)刈谷の城主・水野忠政の娘。天文十年(1541)岡崎城主・松平広忠と結婚、
翌年に家康を生む。
後に離婚して阿古屋城主・久松俊勝に再婚するも人質として織田方や今川方を転々とする我が子を慰め、音信を絶たなかったという・・・ 。
法名、伝通院殿 蓉誉光岳智香 大禅定尼 にちなみ、この寺の通り名を伝通院とした。
東京都文京区教育委員会 昭和62年3月」
文京区・徳川家ゆかりの女性といえば「春日の局」があまりにも有名ですが、 文京区内には徳川家ばかりでなく日本の歴史に名をはせた様々な人物ゆかりの地が数多くあります。
折にふれご紹介できればと思います。